
高橋優 15th Anniversary
リアルタイムインタビュー - “今”振り返る15年とこれから -
7月21日にメジャーデビュー15周年という大きな節目を迎えた高橋優。
新たなスタートを切るタイミングで配信リリースされたシングル「エンドロール」は、高橋優の15年間がぎゅっと詰まった聴きごたえ十分のミドルバラードとなった。
この新曲を中心に、彼が歩んできた15年がどういうものだったのか――あくまで「今」の高橋優の感覚で「これまで」を捉える、リアルタイムインタビュー。
新たなスタートを切るタイミングで配信リリースされたシングル「エンドロール」は、高橋優の15年間がぎゅっと詰まった聴きごたえ十分のミドルバラードとなった。
この新曲を中心に、彼が歩んできた15年がどういうものだったのか――あくまで「今」の高橋優の感覚で「これまで」を捉える、リアルタイムインタビュー。
取材・文:谷岡正浩
「これじゃないなって思っちゃったんですよ」
まずは7月21日(月・祝)にリリースされたシングル「エンドロール」についてお聞きしたいと思います。
どうでした?
めちゃくちゃよかったです。このタイミングでこの曲を出せる高橋優はやっぱりすごいなと思いましたよ。
うれしいなー。あれは自分でも出来た瞬間にグッと込み上げるものがあったんですよね。その、ウルッとくる感覚っていうのが結構大事なんですよ。特にこの「エンドロール」は、いつもの「ウル」よりも、もっと「ウル」の度合いが大きくて、15年やってきたからこそだなって思えました。皆さんがどういうふうに受け取ってくれるかはわかりませんけど、ちょっとでも前から高橋優を知ってくれている人なら、かなり聴きごたえのある曲なんじゃないかなと思いますね。
なんて言うか、慣れ親しんだ高橋優の味ではあるんだけど、いつもよりも激しくうまい!みたいな感じ(笑)。
そうそう(笑)。
前半と後半で印象がガラッと変わるんですけど、でも基本的なメロディーは同じなんですよね。
前半はバラードな印象でしょ。でも後半はテンポもちょっと変えたりして、随所に自分の真骨頂を散りばめた曲になったんじゃないかなと思っています。
そもそも制作のきっかけとしては、「15周年」というテーマがあって、というところからスタートしたんですか?
そうなんですよ。7月21日がデビュー日なので、15周年がスタートするその時に合わせて曲を出そうということになって書き始めたんですよ。で、書いたんですよ。でもそれは、これじゃないんですよ。
そうなんですか!
じつは。これじゃない方の曲はアレンジまで進めていたんですけど。制作期間がツアー中だったというのもあって、結構時間のやりくりが大変だから早め早めでやっていこうという感じでスタッフとも意思疎通しながらやってたんです。でも途中で――アレンジが半分くらいまで出来たところくらいですかね――これじゃないなって思っちゃったんですよ、僕が。
なるほど。それはまたどうしてそう思っちゃったんでしょう?
アルバム『HAPPY』の制作くらいからずっとあるんですけど、やっぱり強くグッとくる感じのものを作りたいという思いがますますあるんですよね。でも、「グッとくる感じ」というのって難しくて。というのも、ちょっとグッとくるくらいだったらできるんですよ。でももうそれじゃあ満足できなくなってきていて。全然足らないなって思うようになってるんですよね。
ということで、強くグッとくるものを目指して作り、出来たのが「エンドロール」というわけですね。
はい。スタッフの皆さんはびっくりしてましたけどね(笑)。思いもよらないところから違う曲が出てきちゃったから。でも、さすが15年一緒にやってるスタッフだけあって、曲のアレンジが進行している最中にも関わらず、「エンドロール」を聴いたら「これでしょ!」ってなりましたね。
結果論ではあるけれど、前の曲があったから「エンドロール」が出来たという、そのプロセスが重要だったりするんでしょうね。
そうかもしれないですね。その、前に作っていたもう一つの曲というのは、アッパーな感じのものだったんですよ。「リアルタイムシンガーソングライター」とか「こどものうた」とか、そっちの方の高橋優を表現したものだったんです。でも、アレンジを進めながら、曲の面からも歌詞の面からも、もしかしたら……っていう感じになったんですよね。僕はよく2曲同時に作るんです。それこそ「こどものうた」と「駱駝」は一緒に作ったんですよ。静と動みたいな全く違うタイプの曲が一緒に出てくることがよくあって、おっしゃる通り、前のものが相当ゴロついた感じの曲だったから「エンドロール」が出てきたというのはあると思いますね。
「結局高橋優ってギターかきむしりながら叫んでるようなやつじゃん」
「エンドロール」を書くに当たって、自身のこれまでの15年をテーマにしたときに最初に思い浮かんだものは何だったんですか?
「15周年」っていうことを意識しないことだったのかもしれないですね。もう何にもなってないんだからまだっていう。常に思ってることがあって、「全人類、自分以上」っていう。
はははは。
これね、あんまり言うとファンの皆さんから怒られたりするんですけど(笑)、そんなこと言わないでって。でもずっとあるんですよ、それが。歌を歌ってようやく一人前の近くまで行けてるっていう感覚が。確かに15年やって来られたというのは自信にはなってて、同時に、本当にありがたいことだなって思うんですよ。周りを見れば協力してくれる人がいっぱいいて、皆さんのおかげだなって。そう思いながらも、でもね……どこか心の中では15年前の自分と今の自分を比べても、さほど変わってないんですよね。だから今もまだハッピーエンドに憧れているというか。最高の瞬間が訪れてほしいと思ったまま、まだ訪れてないんですよ。あんなにいろいろあったのに――っていうことが「エンドロール」には反映されているような気がします。
単純な疑問として、どうして「エンドロール」だったんですか?
書いてて、自然とその言葉が出てきたんですよね。たまにシリアスな映画でエンドロールに役者さんたちのNGシーンが流れたりするものがあるじゃないですか。
ありますね(笑)。
あれがすごい好きで。緊張と緩和じゃないですけど、すごいシリアスな演技をしていた役者さんがエンドロールの中ではくだけた笑顔を見せたりしていて。それで、この僕の人生がいつか終わりを迎えるとして、それまでのどこかでそんなほっこりするようなシーンがあればいいなと思ってるんでしょうね。今もまだ転がり続けている最中で、だから痛いことも多いし、辛いこともある。今年42歳になりますから。きっと周りの同年齢の人たちからすれば、まだ転がってるの?って感じだと思うんですよね(笑)。それがカッコいいのかどうかはもはやわからないんですけど、そんな僕の人生にもいつか自分で自分に拍手を送れるような瞬間が来ればいいなっていうのがあって、「エンドロール」という言葉が出てきました。
じゃあ、エンドロールが流れて、パート2が始まるぞっていうことではないわけですね。いつか流れるであろうエンドロールに向かって、まだまだ行きますよっていうことなんですね。
曲の中で、〈エンディングソングなんて聴こえやしない〉って歌ってるんですけど、だからまだまだ先に見据えてるんでしょうね。ただ、そうは言いながら、今日何かの拍子に死ぬかもしれないじゃんって思ってるんですよ、いつも。
歌詞の中では〈痛み〉という言葉や感覚が肉体的にも精神的にも象徴的に用いられていますね。
もっと楽になると思ってたんですよね。大人になればなるほどもっと鈍感になっていって、人の痛みのわからない政治家みたいになると思ってたんですよ(笑)。でも、もっと敏感になっていってるというか。世の中に対しても、日常の些細なことに対しても、いろんな疑問を感じているし。
だからこそ歌ができるんだと思います。
痛みを知っているから痛くない状態がありがたいと思えるし、寂しさを知っているから誰かに会うのがうれしかったりするから、どっちかになったらハッピーが何かもわからなくなるような気がするんですよね。ただ――しつこいようだけど――それにしたってもうちょい楽になっているんじゃないかと思ってました(笑)。
その変わってない部分も含めて、高橋優の根本が詰まった曲であることに間違いはないですね。
「エンドロール」に限らず、特に最近そうなんですけど、札幌の狸小路で路上ライブをやってた時のことを思い出しながら曲を書くことが多いんですよ。路上ライブで歌ったらどうなるかなっていうことを考えずに曲作りをスタートすることはないような気がしますね。きっとそれは特別なことでもなんでもなくて、たとえばスタジオから音楽を始めた人はスタジオを思い浮かべるかもしれませんし、僕の場合は路上で感情を垂れ流しのまま歌ってた、それが出発点だったというだけの話で、だから創作もそこから始めないとちょっと違うことになるような気がしていて。
それはずっとそうなんですか?
いえ、それこそこの15年の間でそれをやめた時期もあったんですよ。完全に最初からレコーディングを意識、バンドサウンドを意識してっていうふうに。だからそこを通過して一周したのか、進んだのかわからないんですけど、結局高橋優ってギターかきむしりながら叫んでるようなやつじゃんっておれ自身も思っているっていう(笑)。かと思いきや……って言って違うタイプの曲書いたり(笑)。なので、軸になってる部分なんですよね、狸小路で歌っている自分が。あと、部屋で一人で歌っている自分とか。あんまり音を出しちゃいけない六畳一間の札幌時代のアパートなんですけど。秋田の実家でもそうでしたね。あんまり音を出すと他の家族の迷惑になるから、こそこそやってたんですよ。そういえば、こそこそ作ってたときってよかったなーって。そういう原風景みたいなものが、最近曲を作るときはありますね。
それを持ち続けてるんですね。
そこなんですよ。それが果たしていいことなのかどうかがわからないんですよ。持ち続けすぎてるかもしれないじゃないですか。こんなに変わんなくていいのか?って(笑)。こんなにいろいろ経験させてもらって、だけど今も路上ミュージシャンのまんまですもん。
そう思ってやってたんですね、路上時代は。
路上時代は今よりなおバカだったから(笑)、路上デビューしたぜおれ! やったー! みたいに思ってました(笑)。これで世界奪ったるぞー! 聴けー! ってやって誰一人立ち止まらないという(笑)。代わりに警察に止められたり、通りがかりの人に怒鳴られたり、唾吐かれたり、ギターケース蹴られたり。それでも尖ってたから、自分も。オラーって音楽やれてたんですよ。で、その尖りがなくなると思ってたんですよね。確かに若干丸くなった気もするんですけど、それはたんに年齢的なもので、さすがに世間の大人の真似くらいはできるようになりました(笑)。
「(音楽を諦めようと思ったことは)ない。一回も」
ツアーが終わったばかりですが、少しは休めましたか?
2日だけ何もしなくてもいい日というのがあったんですよ。で、なんか休みっぽいことしたいなって思って、カラオケに行ったんです、一人で。
え! そこで歌うんですか?
そう。
人の曲を?
人のもそうだし、自分の曲も。
そうなんだ!
それはなんでかと言うと、9月に秋田県立体育館で弾き語りライブ(『高橋優 15th ANNIVERSARY SPECIAL LIVE IN AKITA〜弾き語り続ける人間展2025~』9月27日(土)・28日(日)開催)をやるので、そこでの選曲候補をどうしようかなっていうのも頭の片隅にはあったんですよ。カラオケにどの曲が入っているのかっていうのがわりと大事だったりするので。
ああ、なるほど。
意外とね、「こんな曲あったね!」みたいな驚きがあるんですよ(笑)。ということをやりつつ、たまにビリーバンバンを歌ったりして(笑)。
貴重なオフなんだからちゃんと休んでよ(笑)。
喉をね(笑)。やっぱり歌ってるときが一番楽しいですね。自分でいられる。自分から歌をとったら人間としての価値がゼロすぎて。
そう考えたら、その歌をよく自分で見つけて、ここまでやってきたなって思ったりしませんか?
というよりも、歌にしがみついてきているんですよ。ずーっと。途中どっかで振り落とされたりしたこともあったかもしれないけどすぐにまたしがみついて。
諦めようと思ったことはないんでしたっけ?
ない。一回も。
高橋さんはご自身でもよくおっしゃいますが、自分は才能があるとか、カリスマとか、全くそんなタイプではないんだと。
そう。凡人。狸小路での路上ライブから、なんとなく人から邪魔がられながら歌い続けてきたっていう思いが強いんですよね。当然親からも心配されましたし、姉からはいつ秋田に帰ってちゃんと就職するんだって言われましたし。っていう10代後半から20代前半を過ごしていたので、人から求められて歌っているなんて感覚は一切ないっていうのがデフォルトでしたから。だから逆に言うと、どこかで誰かに求められて小さくとも幸せになっていたら今の自分はいなかったんでしょうね。でも不思議なことに、みんながみんなそっぽを向くわけじゃないんですよ。高校の頃に自分の作ったオリジナル曲を唯一「いいね」って評価してくれたのが、学校でギターが一番上手いと言われていたやつで、そいつからバンドに誘われたりしたんですよね。100人に一人くらいは、「おお!」とか「いいじゃん!」って反応してくれる人がいて、それがずーっと続いているっていう感じなんです。そういう出会には恵まれてるんですよね。
1クラスに40人いるとして、その中の一人だけが「高橋優、最高!」ってなってる強烈な人がいる。そしてそういう人が全国規模で見たらたくさんいるっていうのが高橋優ファンなのかもしれないですね。
そいうことだと思うんですよ。
でもそれって、めちゃめちゃカッコいいですよね。自分はみんなとは違うこの人が好きなんだっていう感覚は。街中で一人だけ「ARE YOU HAPPY?」って書いてあるTシャツを着ている人のことを想像したら、グッときちゃいました。
カッコいいでしょ? 最近マジでそう思うんですよ。ライブに来てくれるお客さんの熱量はすごいですから。15年やってきて、そこの信頼は本当に揺るがないですね。だから、前は悔しさばかりでやってたんですけど、それでも15年続けてたら、そんな自分を面白がれるようにもなりましたし、一緒に面白がってくれる人たちがいるんだって思える――それが一番大きいですね。
「ずっとあるから、今に見てろよっていう感情が」
15周年以降で新たにやりたいと思うことは何かありますか?
高橋優の活動が軸になるというのはもちろん変わらずなんですけど、広げたいなというのはありますね。たとえばメガネツインズみたいな活動とか。誰かとのコラボとか。15年やってきた幹というのは、曲がりなりにもあると思うんですよ。幹だから、当然そこからは枝が伸び、葉が生える。でも今までは、幹を太くすることをとにかくやってきたので、枝や葉を生やすことをあまりしてこなかったんですよね。そこをやりたいというのはありますかね。
それは楽しみが増えますし、高橋優という幹への良いフィードバックもありそうですね。
あとはまあ、やっぱり曲を書いてツアーをやるということを途切れずにやれていれば僕はそれが一番幸せですけどね。しかも、これからますますそこが一番大変になるんじゃないかなと思うところもあるので。
例えば、コロナをきっかけに当たり前になった配信でライブを楽しむというのもそうですし、VRの技術が進歩すればリアル以上の臨場感が得られたり、そういう技術革新が進めば会場に行かなくても、ということがもしかしたら普通になるかもしれませんからね。
アルバムだって、今でもそうじゃないですか、サブスクが主流となって、アルバムというものの価値が少し前と比べても変化してきていますよね。CDはもはやグッズとしての価値でしかないとか。それはそれで便利なこともありますから全然いいんですけど、ただ曲を作って歌う人間である僕としては、まだしばらくは新しい曲を作って、それを届けるために全国をツアーするという“普通のこと”をやり続けたいと思います。時代の流れは、もちろん僕なりには見てるけど、あくまで高橋優としてやり続けることが大事だと思ってます。そのスタンスでやっているから、今もできているのかなって思うところもありますしね。何十年か後に、こんなに音楽を取り巻く環境は進化し、変化したのに、でも「高橋優はまだ高橋優だった!」っていう方が面白いでしょ(笑)。
エンドロールにその言葉を流したいですね(笑)。
そうそう(笑)。その結末がいいかどうかはわからないけど。でも、ずっとあるから、ハングリー精神みたいなものが。今に見てろよっていう感情が。
